氷川神社 (板橋区舟渡2丁目)
住所:板橋区舟渡2丁目
祭神:須佐之男命、奇稲田姫命
例祭日:歳旦祭 1月1日
創立記念祭 5月12日
例大祭 9月15日(?)
七五三祝祭 11月15日
境内社:十度の宮、他1社
由緒:
氷川神社と十度の宮
御祭神 須佐之男命、奇稲田姫命。
この舟渡の地には、往古より十度宮と呼ばれる石祠が祀られていた。十度の名称は、洪水のために何度も流されながら十度この地(現舟渡二-八付近)に戻ってきたという伝承による。この石祠の正面には「奉修造立氷川大明神御神前宝前」、また左面には「万治二年(一六五九)六月十五日」と刻まれている。ところが、昭和八年頃中山道の改修工事の際この石祠は、蓮根の氷川神社内に移された。
昭和二○年土地区画整理により、志村と戸田橋の間に舟渡町が誕生した。昭和三八年になると土地の住民から神社建設の声が起こり、氏子会が結成されると、当地に社殿を建設し、境内の整備が図られた。翌年には十度宮を当地に遷している。昭和四一年五月神社本庁統理の承認を得て、舟渡の氷川神社が創立された。
平成七年 板橋区教育委員会
以下、写真および雑感
周辺はきちんと区画整理され、きれいな道路がまっすぐに走っています。
この道路を進むと、浮間公園に突き当たります。さらに浮間ヶ池の向こうには浮間の氷川神社があります。
大きな神社ではありませんが、地域の神社としての雰囲気があります。
社号碑です。
境内に入って右手には、社務所があります。
左手には、玉垣や社殿建築を記念した石碑が並んでいます。
手水舎です。
手水舎の隣に十度の宮があります。
板橋区教育委員会の説明と重複しますが、こちらにある説明も転記します。
「十度の宮」の由来
この舟渡の地には、昔から「十度の宮」といわれた笠塔婆型の石祠が祀られていた。
「十度の宮」の語源について「新編武蔵風土記稿」に「・・・・古へ村内西南の方にありしが、爰に塚を築き榎を植えて杜を移す。土人今も「十度の宮」と稱せり」とある。
この石祠は洪水のため何度も流されていたが、十度この地(現在舟渡二の八付近)に戻って来たので、その名が生まれたといわれている。
「十度の宮」の石祠
右面 万治二亥年六月十五日
西南 奉修造立氷川大明神御宝前
左面 寛保三発亥年十二月吉日造立
武州豊島郡蓮沼村別當金剛院
舟渡氷川神社
社殿は柱や梁に相当する箇所を朱塗りのように赤くしています。
横から
狛犬です。よく見かける形状です。
社殿の横に、もう一つ祠があります。
なかを覗かせてもらいます。石の笠塔婆ですか?十度宮が別のところにあるとすると、これはなんでしょう?もしかして、十度宮が蓮沼氷川神社から戻ってくるまで代わりとして置かれていたものでしょうか?
神社が移転したりすると、元の場所に祠を建て、結果的に神社が増えたりするのはしばしばあることですが、これもそうなのでしょうか?気になります。
境内の様子です。
写真撮影:平成23年12月04日