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八雲神社 (北区岩淵町)

八雲神社 (北区岩淵町)
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住所:北区岩淵町22-21



祭神:須佐之男尊

例祭日:例大祭 6月第1土曜日・日曜日
    元旦祭 1月1日、祈念祭 2月21日、水神社祭 6月第一土曜日、夏越の大祓 6月29日
    七五三祭 11月特定日、新嘗祭 11月29日、年越の大祓 12月26日

境内社:水神社
    市杵島神社、御嶽神社、稲荷神社、大六天神社、白山神社

由緒:境内の入口近くに東京都北区教育委員会による説明板があります。
  八雲神社  岩淵町二二-二一
 八雲神社は、岩槻街道の東裏、荒川堤防の南側近くに鎮座します。この神社は、江戸時代に徳川将軍が日光東照宮に参詣する際に利用した日光御成道の第一の宿場として栄えた岩淵宿の鎮守社でした。祭神には須佐之男尊が祀られています。創建年代は不詳ですが、江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、「牛頭天王社 宿ノ鎮守トス、正光寺持、」とあり、これが「テンノウサマ」として親しまれていたことがわかります。また、神仏分離以前には正光寺が別当寺でした。明治六年七月に村社に定められ、それ以来、赤羽八幡神社の兼務社となっています。
 境内には、本殿、幣殿・拝殿、神楽殿、末社水神社が配置されています。水神社は舟運業者の信仰を集めた神社です。祠の右側には「寛政十二庚申正月吉日」の年紀が刻まれています。また、勝海舟が荒川で足止めされたときに書いたとされる大幟旗も所蔵しています。
 現在、本祭は、末社水神社の祭礼とともに隔年ごとの六月第一土曜・日曜に行われています。このとき、氏子たちによって神輿が巡幸されます。
 参道の端に「岩淵町 町名存続之碑」があります。昭和三十七年五月に「住居表示に関する法律」が公布されると、北区も住居表示の変更を進めました。由緒ある岩淵町の名を守るため、岩淵町一丁目の住民は町名存続運動を展開しました。この石碑は、そのときの記憶を未来へと刻むものです。
 平成十九年十月  東京都北区教育委員会

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 この神社は、赤羽八幡神社 (北区赤羽台4丁目)が管理しているようで、赤羽八幡神社のホームページに兼務社(リンク)として写真や紹介があります。きゅうり伝説は興味深いですね。

 北区観光ホームページにも八雲神社の簡単な解説があります。



以下、写真および雑感


 新河岸川南岸を走る道路から横道に入ったところに八雲神社の入口はあります。神社の近くに新河岸川を渡る人道橋の岩淵橋がかかっています。少し離れたところには、新河岸川・荒川をまたぐ国道122号線新荒川大橋もかかっています。
 神社前から北側を見たところです。突き当りが新河岸川の堤防になっています。
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 こちらは神社前から南側を見たところです。神社の南隣には、神社とは関係ない月極め駐車場があるのですが、その入口に延命地蔵尊と書かれたお地蔵さんがありました。
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 境内入口から拝殿まで、まっすぐに参道が続いています。
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 社号碑です。五峯髙林寛という人が字を書いています。ネットで少し調べたところ、この人は明治の高名な書家のようです。
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 一の鳥居は、大正六年(1917年)の奉納です。扁額にちょっと特徴がありますね。
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 このブログを書く際に神社の位置をグーグルマップで確認していたところ、グーグルマップではこの建物が「岩渕町自治会(事)」(「岩渕町」は「岩淵町」の単純な誤りだと思います)と表記されていました。写真を撮ったときは「社務所」だと思い込んでいたのですが、看板もないのでよくわかりません。神社の社務所が自治会の施設を兼ねているようなところも、ときどきありますので多分ここもそのような使われ方をしているのでないかと個人的には推測しています。
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 板の壁や玄関の造りが時代を感じさせます。今となっては貴重ですね。



 参道の横は、ちょっとした庭のような感じになっています。
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 その先に手水舎があります。
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 昔の井戸でしょうか?
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 参道の右側には、説明版にも言及されている「町名存続之碑」があります。脇の「碑文」に町名存続運動の経緯が記されています。日光御成道の宿場である岩淵宿、その歴史を埋もれさせないためにも地名存続というのは意義があるのではないでしょう。表面的には「普通の住宅地」としか見えなくても、歴史を知っていればいろいろな事が見えてくるような気がします。
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 石段を少し上がると二の鳥居があり、その先に社殿があります。
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 社殿の手前には燈籠や狛犬があります。奥の大きい方の燈籠は、明治四十一年(1908年)奉納、「岩淵本宿 佐野政右衛門建之」とあります。小さい方は文政十年(1827年)丁亥九月建之とありますが、同時に昭和五十七年(1982年)五月再建ともあるので新しいものです。
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 狛犬です。「岩淵本宿青年會」「創立貳拾年紀念」として大正十年(1921年)に奉納されています。些末なことですが、裏側には青年会設立と狛犬奉納の経緯が彫られていますが、その署名が「岩渕本宿 紀念會」となっています。昔は、「淵」と「渕」の使い分けが曖昧だったようですね。
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 拝殿です。銅葺(?)屋根の色がいいですね。
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 拝殿前には、明治三十七年(1904年)奉納の天水桶があります。
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 拝殿に向かって右側には、石碑がいくつかならんでいます。小さなものは、詳細が書かれていなかったり、達筆で私には読めなかったりしたので、大きなものを簡単に紹介します。
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 題には「日露戦役記念碑」と彫られています。中央部の上には出征軍人氏名が彫られています。その下に「陸軍歩兵中佐従五位勲四等功五級川崎寅三篆額」とありますから、題字はこの人の字のようです。川崎寅三中佐は、日露戦争に歩兵第30連隊連隊長として従軍しています。中央部分の大部分は、漢文で書かれているようなのですが、無学な私にはよくわかりません。文は早稲田大学教授菊池武貞、書は従七位富岡重民によるものです。
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 「八雲神社」の文字は社号碑と同じ五峯髙林寛によるものです。その下には「拝殿再建記念」と書かれているのでしょうか?昭和二年(1932年)七月に建てられています。本文によると大正十二年(1923年)九月の関東大震災で倒壊した拝殿の再建を記念もののようです。
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 拝殿の横には境内社があります。奥から、市杵島神社、御嶽神社、稲荷神社、大六天神社、白山神社です。
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 拝殿に向かって左側には、「海舟勝安房守の筆になる八雲神社大幟の修復について」と題した石碑があります。
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 この石碑は、昭和四十九年(1974年)十二月に幟旗の修復を記念して設置されたようです。勝海舟による幟旗は、八雲神社のホームページでは以下のように説明されています。
これは明治になったころ、勝海舟が時々軍艦の大砲の製造等で川口に寄られたとき、荒川の氾濫により宿場である岩淵本宿に泊まって大変お世話になったお礼に書いたと言われています。

 また北区教育委員会による説明には「荒川で足止めされたときに書いたとされる」とあります。

 しかし、この石碑では、幟旗を勝海舟に書いてもらった経緯は「はっきりしない」としながらも、僅かに残っている「言い伝え」が記されていますが、それが上記のホームページ等の説明とは異なっています。その部分を転記します。
 当時の海舟の居所赤坂にたずねて、岩渕の者だが是非にと頼んだこと、海舟が一つ返事で引受けてくれたこと、先人が墨をすりに通ったこと、海舟がミゴボウキを握って立ちはだかって書かれたこと、そして愈々書きあがってののち先人が御礼のしるしとして鯉魚を持参したこと、玄関に立ってゐた海舟がどこでとれた鯉魚かと問はれたこと、先人が地元の荒川でとれたと答えたこと、海舟は急に不気嫌にになって奥へ消えてしまったこと等々である。
 考えてみると海舟は維新前後、江戸や京阪を際々往復していたのでそのころ懇意にしてゐた東海道の岩渕の人たちと錯覚していたのではなかったろうか―と先人はこのことを後日の物語として伝えている。

 面白い話ですね。たぶん、八雲神社のホームページや北区教育委員会に書かれているように、岩淵宿に投宿したときに書いたというのが正解なのかもせませんが、個人的には石碑に書かれた物語に魅力を感じます。たとえ石碑に書かれた話が間違いであったとしても、そう言い伝えられたというのは事実でしょうから、お話のひとつとして語り継いでいって欲しいものです。
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 横には斜路がつけられています。車椅子等の配慮しているのでしょうが、珍しいですね。この神社は高低差があまりないからつけられらたのでしょうが、財政的にもなかなか難しいのではなかろうかと思います。
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 拝殿の横には、神楽殿があります。
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 神楽殿の横は、ちょっとした空間があり神輿庫と思しき建物があります。
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 神楽殿の裏へまわると、拝殿の後ろの本殿が見えます。
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 斜路の先に水神社があります。川に正面を向けています。車道に面したところに門がありますが、こちらは通常閉めているようです。道路の向こうに岩淵橋に続く斜路が見えます。
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 昭和十年(1935年)五月遷座記念と横にあります。神社の外から八雲神社境内に移したのでしょうか?水神社の祠自体はもっと古いものですので単なる建替えではありませんね。
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 水神社の前にある水盤は文政二年(1819年)の奉納です。
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 水神社の正面扉部分には「水神宮」「岩渕本宿」と彫られています。横には、寛政十二年(1800年)庚申正月吉日とあります。なかなか凝った造りです。
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 境内の様子です。
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写真撮影:平成24年05月27日
by st22 | 2012-11-14 16:44 | 寺社