大鳥神社 (豊島区雑司が谷3丁目)

大鳥神社 (豊島区)

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住所:豊島区雑司が谷3-20-14




祭神:日本武命
配祀:食稲魂命

沿革
正徳年間 鬼子母神(正確には鬼の字に点はない)境内に鷺明神として創祀せらる。明治維新、神仏分離の令に依り大門欅並木の料亭 蝶屋地内に大鳥神社と改称 仮遷座す。此れを憂い 旧幕臣 矢嶋昌郁氏 自己の宅地を社地として奉納 永久鎮座の地 漸く定まる。その後 境内地を漸次拡張し現状となる。

境内社:三杉稲荷神社
昭和のなかば首都高速道路五号線開通に伴い 元日の出町より移り本社と相並び奉祀す
三杉稲荷神社と称す。

神事
例大祭:九月上旬 土・日曜日
酉の市:十一月 酉の日
大祓:六月・十二月の晦日
月並祭:毎月 一日、十五日

神徳
開運・招福

 境内掲示由緒書きより、( )内はブログ作成者補足

別に東京都神社庁の紹介があります。
 当神社はもと鷺明神と称し正徳二年(1712年)鬼子母神境内に創祀せられ、当時千登世橋に近く出雲藩下屋敷で藩主松平公の嫡男が疱瘡にかかった時、鷺明神に祈り治ったので厄病除けの神として尊崇されていたが、明治維新神仏分離に当り現地に移した。


以下、写真および雑感
 都電荒川線 鬼子母神前駅から近頃整備された道路を荒川線沿いに少し歩くと、大鳥神社が見えてきます。
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 道路工事に伴い、改修がおこなわれたようで、正面の鳥居や玉垣は真新しいものです。
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 「雑司が谷七福神」というものがあります。近隣の寺社等に七福神をそれぞれ配し、町おこしに一役かってもらおうということのようです。大鳥神社には恵比寿様がおられます。
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 個人的に茄子にはあまり興味ないのですが、「雑司ヶ谷ナス」。JA東京中央会の記念事業として看板の設置等がおこなわれたようです。
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 ナスの隣には旧高田町による下水事業の記念碑があるのですが、どちらも神社には直接関係ありません。地域の歴史を残そうとすると、神社に置くのが適当なのでしょう。そういう意味でも貴重な場所ですね。

 本殿正面です。よく見ると気がつくのですが、幕やガラス戸、扉、賽銭箱、柱の角灯にまで「巾着」があしらわれています。さらに、手水舎の水盤、玉垣にも。玉垣は神社横の古いもので昭和二十九年竣工ですから、なにか由来はあるのでしょう。できれば由緒書きの片隅にでも載せてもらえるとありがたいのですが。
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 本殿右隣にある、三杉稲荷神社です。このお稲荷様は、赤い鳥居ではありませんね。
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 最初のほうの写真にあるように、神社入り口に「大鳥神社」と書かれた大きな碑があります。この碑は、鳥居や玉垣と違い古い物をそのまま使っているようです。裏には「昭和十五年九月 侯爵 徳川義親 謹書」とあります。
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 徳川義親って誰でしょう?侯爵で徳川なら将軍家ゆかりの人物と思われますのでちょっとWikipediaで調べてみたところ、面白い人物であることがわかりました。
 明治19年(1886年)幕末四賢侯の一人として名高い松平春嶽の五男として生まれます。やがて尾張徳川家の養子となり、後に尾張徳川家19代当主、侯爵となります。幼少の頃から、学業は最劣等で学習院初等科で落第したりしています。学習院卒業後、東京帝国大学文科大学史学科に進んだのも単に無試験だったからと言うありさまです。しかし、林政史を研究した史学科卒業後、同大学理科大学生物学科に入学し、今度は優秀な成績で卒業しました。
 卒業後はお殿様ぶりを発揮し、自邸内に植物学の研究室を設け、やがてこれを徳川生物学研究所に発展させます。また、旧尾張藩士による北海道の農場経営に尽力し、お土産品として有名な「木彫りの熊」を商品化したりしています。大正10年(1921年)じんましん治療のためマレー・ジャワに転地療養し、この際に現地のスルタンに招かれ虎狩り、象狩りに参加します。これが大げさに報道され「虎狩りの殿様」と呼ばれるようになります。それから、尾張徳川家の美術品等を管理する徳川黎明会を組織したり、貴族院議員を務めたり、聾教育について議論して馬鹿殿様と言われたり、右翼クーデター計画に関与したりと忙しい日々を送っているうちに戦争の足音も高く、「大鳥神社」の字を書く昭和15年(1940年)となります。この年は皇紀2600年にあたり、数々の式典や行事がおこなわれたようです。大鳥神社の碑もこれを記念したのでしょうか?
 当時において、「徳川義親」と言う人物はかなりの大物であったことがうかがわれますが、大鳥神社との関係はよくわかりませんでした。しかし、あちらこちらに「徳川義親」書の碑が残っているところをみると、意外と気軽に(?)書いてくれたのかもしれません。
 戦後も逸話に事欠かない人物ですが、昭和51年(1976年)脳内出血で逝去されてます。享年89歳。
 ちなみに、侯爵家というような制度上の尾張徳川家はもちろん現在はありませんが、第22代として曾孫に当たる徳川義崇氏が継いでおられます。ホームページのProfileを拝見させてもらいましたが、この人もなかなか興味深い方のようです。


写真撮影:平成23年10月3日、10月7日
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by st22 | 2011-10-11 21:10 | 寺社