人気ブログランキング | 話題のタグを見る

子安天満宮 (豊島区北大塚1丁目)

子安天満宮 (豊島区北大塚1丁目)
子安天満宮 (豊島区北大塚1丁目)_e0163471_15363665.jpg

住所:豊島区北大塚1丁目



祭神:菅原道真公
由緒:
鎮座 室町時代 天文年間 (西暦1533~1555年)
「室町時代の天文年間に巣鴨保坂氏の祖先、仁平(にだいら)三河守盛義(新編武蔵風土記稿巣鴨村の項参照)が三河の国から(一説には京都から)この巣鴨の地に来て、当神社の西方低地谷田川のほとりに陣屋と称する家屋敷を構え、巣鴨村立始の住人となって(駒込圓勝寺の墓石参照)土地の開墾に勤め、同時に屋敷の東西南北の小高い場所に神々を祭って屋敷神とした。北は氷川神社(北大塚一丁目三八番八号の辺り)、南は熊野神社(南大塚二丁目三九番五号の辺り、現在は天祖神社に移る)、西は稲荷神社(北大塚一丁目一五番五号の辺り、又は同二丁目三三番の辺り)、そして東に勧請したものが菅原道真公を祭るこの神社であり、最も広く、明治時代は坂の下の道迄一,一二○坪の境内地を擁した。盛義は元亀二年(西暦一五七一年)に没し、その子は武士をやめて姓を保坂と改め、代々徳右衛門と名乗るようになり、やがて江戸に徳川幕府がおかれ、中仙道の往来がしげくなるにつれ、陣屋をすてて中仙道筋に移り、永く増上寺領巣鴨村の名主を勤めた。保坂氏の子孫は絶えることなく、当神社への奉仕を続けて今日に至っている。尚 この辺一帯の土地を天神山と唱えるのは、この御宮に由来するものであり、社号に子安の二字を冠するのは子育ての意味である。当神社は江戸時代の江戸惣鹿子名所大全、須原屋版分間大絵図等にも登載され、江戸名所図会の巣鴨真性寺の遠景にも描かれている。」

境内掲示の案内より
子安天満宮 (豊島区北大塚1丁目)_e0163471_15375110.jpg



以下、写真および雑感

 子安天満宮は大塚駅から近い住宅地にあります。表に面した部分には神社らしい玉垣がないため、一見普通の庭か畑のように感じられました。
子安天満宮 (豊島区北大塚1丁目)_e0163471_15383168.jpg

子安天満宮 (豊島区北大塚1丁目)_e0163471_15384188.jpg



 入ってすぐ、鳥居の脇には子安天満宮と書かれた碑があります。文化二年(1805年)に建てられたもののようです。
子安天満宮 (豊島区北大塚1丁目)_e0163471_15385018.jpg

子安天満宮 (豊島区北大塚1丁目)_e0163471_15385865.jpg



 鳥居をくぐってもあまり神社らしくない空間が続きます。社務所兼住宅でしょうか?普通の民家に入ったかのような感覚にとらわれます。
子安天満宮 (豊島区北大塚1丁目)_e0163471_15391047.jpg



 奥には石の玉垣をめぐらせたお社がありますがこれも質素なつくりです。
子安天満宮 (豊島区北大塚1丁目)_e0163471_15392482.jpg

子安天満宮 (豊島区北大塚1丁目)_e0163471_15393456.jpg



 神社の脇には古い鳥居の柱でしょうか?割れた円柱状の石が残されていました。
子安天満宮 (豊島区北大塚1丁目)_e0163471_15394873.jpg



 もとは、この付近の有力者の屋敷神だったそうですが、現在でも「屋敷神」のような風情を漂わせていました。


写真撮影:平成23年11月08日
by st22 | 2011-11-22 19:24 | 寺社