田端八幡神社 (北区田端2丁目)
住所:北区田端2丁目7-2
祭神:品陀別命(応神天皇)
例祭日:例大祭 神幸祭 8月14日・15日
歳旦祭 1月1日、祈念祭 2月
童子健全祭 5月、新嘗祭 七五三祝祭 11月
大祓式 6月・12月、中川祭 斉行
摂社・末社:山王社、東灌森稲荷神社、水神社、稲荷社、冨士浅間社、三峰社、等
由緒:
この八幡神社は、田端村の鎮守として崇拝された神社で、品陀和気命(応神天皇)を祭神をしています。神社の伝承によれば、文治五年(一一八九)源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請して創建されたものとされています。別当寺は東覚寺でした。
現在東覚寺の不動堂の前にたっている一対の仁王像(赤紙仁王)は、明治元年(一八六七)の神仏分離令の発令によって現在地へ移されるまでは、この神社の参道入口に立っていました。江戸時代には門が閉ざされていて、参詣者が本殿前まで進んで参拝することはできなかったらしく、仁王像のところから参拝するのが通例だったようです。
参道の中程、一の鳥居の手前には石橋が埋められています。これは昭和初期の改修工事によって暗渠となった谷田川に架かっていたもので、記念保存のためにここへ移されました。
社殿は何度も火災等に遭い、焼失と再建を繰り返しましたが、平成四年(一九九二)に氏子たちの協力のもとで再建され、翌年五月に遷座祭が行われました。境内には、稲荷社のほかに田端冨士三峯講が奉祀する冨士浅間社と三峰社があり、冨士浅間社では毎年二月二十日に「冨士講の初拝み」として祭事が行われています。
平成九年三月 東京都北区教育委員会
江戸名所図会には以下のように書かれています。
田端八幡宮
同所【田端村】西の方にあり。田端村の鎮守とす。相伝ふ、文治五年[一一八九]頼朝公[源頼朝、一一四七~九九]勧請す。すなはち駒込神明宮と同時の鎮座なりといふ。別当は真言宗東覚寺と号して、弘法大師の作の不動尊を本尊とす。開山は行基菩薩なり。
『新訂 江戸名所図会5』ちくま学芸文庫より 【 】内はブログ作成者
また、東京都神社庁のウェブサイトでは以下のように紹介されています。
文治五年に源頼朝が、この地の豪族豊島氏と共に奥州の藤原一族を平定し、その帰路に駐留したあかしとして、鎌倉八幡宮を勧請し、祭祀を起し、郷土の鎮守とした神社である。
以下、写真および雑感
田端八幡神社は田端駅からそれほど離れていないところにあります。また近くには、上田端の鎮守として上田端八幡神社があります。
入り口には、大きな社号碑があります。
田端神社の隣には昔の別当寺である東覚寺が並ぶようにあります。こちらには北区による説明にもあるとおり、元は田端八幡神社の参道にあった仁王像があります。
東覚寺の不動堂などは、門前の道路整備にともない新調されたようです。
現在でも仁王像には、たくさんの赤い紙が貼られています。
奥に、草鞋が奉納されているのがみえます。
東覚寺では仁王像を以下のように説明しています。
石仏仁王の背銘に「施主道如海上人東岳寺賢盛代、寛永十八辛巳天八月廿一日」と刻まれている。西暦一六四一年より露仏で立っていることになる。仁王は、本来清浄な寺院の境内を悪から守る金剛力士として山門の両側に立ち、仏法僧の三宝を守護するものであるが、この赤紙仁王は当時江戸市中に流行していた疫病を静めるため宗海上人が願主となって建立されたもので、いつのころから赤紙(悪魔を焼除する火の色)を自分の患部と同じ箇所に貼って病気身代わりと心身安穏を願うようになった。
右の阿像は口を大きく開けて息を吸い込んでいる状態即ち「動」を表し、左の吽像は口をしっかりと結んで息を止めている状態即ち「静」を表している。阿吽の姿は密教で説く胎蔵界、金剛界の二界を表し、又宇宙一切のものの始めと終わりを表している。阿像から吽像へと祈願し、満願のあかつきにはお礼として草鞋を奉納する。祈願者、病人を見舞うため日夜歩かれるのでさぞかし草鞋が必要であろうという思いやりからである。
白龍山 寿命院 東覚寺山主
白龍山寿命院東覚寺のサイトでも仁王像などについて解説されています。
田端八幡神社にもどって、参道の一部は駐車場になっていますが、東覚寺の横を細長く続いています。
一の鳥居です。参道脇は神輿庫がならんでいます。鳥居は、文化元年(1804年)とかなり古いもののようです。
鳥居の足元には、北区教育委員会の説明にある、谷田川に架かっていた石橋が埋められています。
少し進むと、二の鳥居があり、ここから石段が二手に分かれています。
左側の石段は、まっすぐ社殿へ続いています。右側の石段は、富士塚になっており、途中に社があります。
富士講の碑のようですね。昭和29年(1954年)のものです。
冨士浅間社と三峰社でしょうか、途中に祠があります。
お稲荷さんが一番上にあります。
石段の右に門があり、向こう側は墓地になっています。東覚寺の墓地なのでしょうが、神社の参道でお寺との間をさえぎられるかたちになっています。
こちらは、社殿のあるところまで直接上がる石段です。左側の塀の向こうは東覚寺の敷地です。お寺の敷地に小さく赤い幟旗が見えます。お稲荷さんがあるようです。
石段上から。寛政4年(1792年)と彫られています。
石段上がって右手に手水舎があります。
その隣にあるのは不動明王でしょうか?
石段を上がって正面に拝殿があります。
社務所の工事中でちょっと雑然とした雰囲気がありました。
拝殿は新しいもののようですが、木造の立派なものです。木の風合がいいですね。残念ながら工事の関係で奥にはまわれませんでした。
狛犬は大正六年(1917年)の奉納です。
真新しい燈籠に大正十二年(1923年)の文字があります。よく見ると、平成23年に再建されたものだとわかります。昔の人の篤志を大切にしているのでしょう。
境内の様子です。
写真撮影:平成23年11月27日