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平塚神社 (北区上中里1丁目)

平塚神社 (北区上中里1丁目)
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住所:北区上中里1-47-1




祭神:八幡太郎 源義家命、賀茂次郎 源義綱命、新羅三郎 源義光命

例祭日:大祭 9月14・15日、中祭 5月15日、小祭 1月15日
    歳旦祭 1月1日、節分祭 2月3日、大祓 6月30日・12月31日
    月次祭 毎月1日・15日

境内社:石室神社(石室明神) 蘓坂兵庫頭秀次命
    御料稲荷神社 保食神
    大門先・元稲荷神社 保食神
    菅原神社(平塚天神社) 菅原道真命、大己貴命、豊島太郎近義命

由緒:
  源氏の棟梁 源義家を祀る
 平塚神社 (旧 平塚明神社)

   御祭神
  八幡太郎 源義家命
 平安時代後期の武将で、源頼朝・義経や足利将軍家の先祖。石清水八幡宮で元服したので八幡太郎と号された。前九年の役(安部貞任・宗任退治)、後三年の役をはじめ数々の戦を征された。「天下第一武勇之士」と称えられ、全国の武士達が臣従した。その武威は物の怪ですら退散させたといわれ、義家公の弓矢は魔除け・病除けとして白河上皇に献上された。
  賀茂次郎 源義綱命
 義家公の次弟。賀茂神社で元服したので賀茂次郎と号された。
  新羅三郎 源義光命
 義家公の三弟で武田氏、佐竹氏、小笠原氏の先祖。新羅明神で元服したので新羅三郎と号された。笙の名手としても有名。

  御神徳
勝ち運 立身出世(就職 昇進 事業繁栄) 病気平癒 騎馬上達(交通安全) 武芸(スポーツ)上達 開運厄除 心願成就 等

  略縁起
 平塚神社の創立は平安後期 元永年中といわれている。八幡太郎 源義家公が御兄弟とともに奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜された。近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守とした。塚は甲冑塚とよばれ、高さがないため平塚ともよばれた。さらに近義は社殿を建てて義家・義綱・義光の三御兄弟を平塚三所大明神として祀り一族の繁栄を願った。
 徳川時代に、平塚郷の無官の盲者であった山川城官貞久は平塚明神に出世祈願をして江戸へ出たところ検校という高い地位を得て、将軍徳川家光の近習となり立身出世を果たした。その後、家光が病に倒れた際も山川城官は平塚明神に家光の病気平癒を祈願した。将軍の病気はたちどころに快癒し、神恩に感謝した山川城官は平塚明神社を修復した。家光自らも五十石の朱印地を平塚明神に寄進し、たびたび参詣に訪れた。

境内設置説明版より
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 平塚神社のウェブサイトにも同様の解説があります。また、東京都神社庁北区のサイトにも簡単な解説があります。

 略縁起に記されている山川城官による再興を描いた「紙本著色平塚明神并別当城官寺縁起絵巻」は、東京都北区指定有形文化財(歴史資料)に指定されています。他に平塚神社に伝わる「平塚神社文書」も東京都北区指定有形文化財(古文書)に指定されています。

 江戸名所図会には以下のように記されています。
 平塚明神社 平塚村にあり。当社縁起に伝く、往古八幡太郎義家[源義家、一○三九-一一○六]兄弟、奥州前後十二年の戦い終はり凱陣のみぎり、この地に逗留ありて、城主豊島氏某(あるいは豊島太郎義近ともいへり)に鎧一領ならびに守り本尊十一面観音(長七寸、行基菩薩の作なり。いま城官寺に安置す)を賜う。その後元永年中[一一一八-二○]、豊島氏城内清浄の地を択んで、かの鎧を塚に築き収め(塚の形、高からざるをもって平塚と号す。地名もまたこれによりて称す)城の鎮守とす。かつ社を営んで三連枝の像を安じ、平塚三所明神と号す(八幡太郎義家・加茂次郎義綱[源義綱、?-一一三四?]・新羅三郎義光[源義光、一○四五-一一二七])。これ義家兄弟の武功を欽崇ひ、かつ武運を祈らんためなりと云々。別当を平塚山城官寺といひ、安楽院と号す(城官寺の来由はしばらくここに略す)。本地阿弥陀如来を安ず(赤檀仏毘首羯摩天の作、瑪瑙の玉座なり)。昔筑紫安楽寺の僧回国修行のみぎり、この像をここに安置せしとぞ。

 『新訂 江戸名所図会5』(ちくま学芸文庫)より


 また、境内地付近は平塚城があったところとされ、境内入口に教育委員会による説明板が設置されています。この説明は平塚神社そのものの説明を兼ねているようで、内容は平塚神社による説明と重複します。
 平塚城伝承地     平塚神社
 平塚神社付近は、平安時代に豊島郡を治める郡衙のあった場所だと推定されていますが、平塚明神并別当城官寺縁起絵巻(北区指定有形文化財)の伝承によれば、この時代の末期には、秩父平氏庶流の豊島太郎近義という人物が平塚城という城館をつくります。
 平塚城は源義家が後三年の役で奥州に遠征した帰路の逗留地で、義家は近義の心からの饗応に深く感謝し、使っていた鎧と守り本尊の十一面観音を下賜しました。近義は義家が没した後、城の鎮護のため拝領した鎧を城内に埋め、この上に平たい塚を築き、義家兄弟の三人の木像を作り、そこに社を建てて安置したと伝えられます。これが本殿裏側の甲冑塚とも鎧塚とも呼ばれる塚で、平塚の地名の起こりともいわれています。鎌倉・室町時代の平塚城は、この地域の領主であった豊島家代々の居城となりましたが、文明十年(一四七八)一月、泰経の時代に太田道灌によって落城してしまいます。
 江戸時代、上中里村出身の針医で当道座検校でもあった山川城官貞久は、三代将軍家光の病の治癒を平塚明神に祈願し、家光は程なく快復します。感謝した貞久は、みずからの資金で平塚明神の社殿と別当の城官寺を再興し、買った田地を城官寺に寄進します。貞久の忠誠心を暫くして知った家光は感激し、二五○石の知行地を与え、この内の五○石を朱印地として平塚明神に寄進させました。

 平成四年三月 北区教育委員会
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以下、写真および雑感

 平塚神社参道は本郷通りに面してあります。
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 本郷通りに面して神社参道左側に「平塚亭つるおか」という和菓子屋があります。残念ながら私が行った時にはお休みだったようです。
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 この神社の境内は、細長いかたちをしており、神社右側の上中里駅に向かう道の歩道沿いに、かなりの距離まっすぐに玉垣が続いています。
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 参道に入ってすぐ右手には社号碑が二つあります。一つは大きなもので大正十三年(1924年)に奉納され、「郷社平塚神社」と書かれてあります。
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 もう一つは、あまり大きくはありませんが、古いもので「平塚大明神 八幡太郎義家 賀茂二郎義綱 新羅三郎義光 三公霊像」と書かれているようです。側面は一面削られたようになっています。文政二年(1819年)のもののようです。
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 細長く続く境内は、参道の脇を駐車場にしています。料金所まであり、かなり本格的に経営しているようです。
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 一直線に長く続く正面からの参道に鳥居は二つしかなく、大きな神社としてはちょっと意外な感じがします。しかも石の大きな鳥居はこれ一基だけのようです。奥に並んでいるのは神輿庫でしょうか。
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 境内の大部分は駐車場となっていますが、柵と簡易な門でしきられた奥は神社らしいたたずまいになっています。
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 参道の左側には手水舎と境内社があります。
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 手水舎です。
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 こちらは石室神社(石室明神)、祭神は蘓坂兵庫頭秀次命、御神徳は社守・天災除・病気平癒です。以下のように説明されています。
 豊島氏の後、平塚城主となった蘓坂兵庫頭秀次は平塚明神を篤く祀った。秀次はみまかりで社の外側に葬られるが、以降墳墓のあたりに毎年米は降るようになった。村の長老は秀次の石墳を石神明神と崇めた。石上明神は崇めれば必ず応えてくれ、水害や日照や疫病の除災に御神徳を顕したと伝えられる。

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 よく似たお稲荷さんの社が二つ並んでいます。一見同じように見えますが良く見ると結構違いがありますね。
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 向かって左側が御料稲荷神社です。
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 右側は大門先・元稲荷神社です。双方とも祭神は保食神、御神徳は豊作・商売繁盛で、それ以上の詳しいことは書いていませんでした。
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 こちらは菅原神社(平塚天神社)です。祭神は菅原道真命・大己貴命・豊島太郎近義命で、御神徳が学業成就・縁結び・財運・家内安全・事業運となっています。菅原神社ですが菅原道真以外に二柱合祀されています。
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 社殿の前に小さな木の鳥居があります。「小さな木の鳥居」というと、私がすぐに思い浮かべるのが、赤く塗られたお稲荷さんの鳥居なので、比較的大きな神社の正面の参道にこのような鳥居があるのは新鮮です。個人的には、素朴さ清潔感があり好印象です。
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 小さな鳥居のすぐ後ろには、一対の石燈籠があります。文字が読み取りづらかったのですが、寛永18年(1641年)のものでしょうか?紙本著色平塚明神并別当城官寺縁起絵巻の北区による紹介に「絵巻では、江戸時代に山川城官貞久によって平塚明神・城官寺が再興され、寛永17年(1640)に幕府から50石の朱印地が寄進されるまで」という記述があることから、この石燈籠が寛永18年のものだとすると、再興して間もない頃のものということでしょうか?
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 参道左側、境内社の並んでいる先には神輿庫があります。
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 神輿庫の脇に石の柵で囲まれた木と、石碑があります。
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 木の陰になって見えにくいのですが、石碑は「記念植樹」と書かれた上の部分と寄進者の名前と思われる部分が一度削られ、その後補修されたように思えますが「記念植樹」の上の部分は消えてしまっているようです。「紀元二千六百年」と書かれているところを見ると、記念事業の一環として奉納されたようですが、何を記念しての植樹なのか不明になっています。
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 拝殿です。私は建築様式等にさほど詳しくないのですが、寄棟造の屋根を見ると神社より寺院を思い浮かべてしまいます。
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 拝殿前の狛犬は、立派な台座の上に載っていますね。
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 拝殿の右側は、神楽殿があり、渡り廊下でつながっています。
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 神楽殿のさらに右側には社務所があります。
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 社務所の前には、古い水盤を置いた簡素な手水舎があり、神社に沿って本郷通りから上中里駅方面に続く道路に下る階段があります。
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 こちらの水盤は享保15年(1730年)と意外と古いものなのですが、たわしが置かれていたりと現役のような気配があります。
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 下の道路に下る階段のところには、小さな鳥居があります。
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 拝殿向かって左側を奥に進むと、コンクリートブロックで作られた簡単な焼却場があります。御神札やお守りを燃やすのでしょうか?注連縄がはられています。
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 さらに奥には門があり、これ以上入ることはできません。向こうに甲冑塚があると思われます。
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 柵で仕切られ、近くには行けませんが本殿を見ることが出来ます。
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 境内の様子です。
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写真撮影:平成24年02月20日
by st22 | 2012-07-05 18:42 | 寺社