水神社 (文京区目白台1丁目)

水神社 (文京区目白台1丁目)
e0163471_1718194.jpg

住所:文京区目白台1丁目



祭神:速秋津彦命、速秋津姫命、応神天皇

由緒:
  水神社  目白台一丁目一-九
 祭神は、速秋津彦命・速秋津姫命・応神天皇
 創建の年代は明かでない。
 『江戸砂子』には、「上水開けてより関口水門の守護神なり。」とある。
 わが国最古の神田上水は、徳川家康の命により、大久保主水が開いた。井頭池からの流れを、目白台下の現大滝橋のあたりに、堰(大洗堰)を築き、水位をあげて上水を神田、日本橋方面に通じた。
 伝えによれば、水神が八幡宮司の夢枕に立ち、「我水伯(水神)なり、我をこの地に祀らば堰の守護神となり、村民を始め江戸町ことごとく安泰なり」と告げたのでここに水神を祭ったという。
 上水の恩恵にあずかった神田、日本橋方面の人たちの参詣が多かったといわれる。また、このあたりは田園地帯で、清らかな神田上水が流れ、前には早稲田田んぼが広がり、後には目白台の椿山を控え、西には富士の姿も美しく眺められて、江戸時代は行楽の地であった。
   文京区教育委員会 昭和五十八年三月

 境内設置説明板より
e0163471_17185344.jpg


 文京区のウェブサイトに簡単な説明があります。

江戸名所図会には以下のように紹介されています。
水神社 同所に並ぶ。竜隠庵別当たり。上水の守護神を祀らんために、北辰妙見大菩薩を安置す。祭神は罔象女なり。祭礼は五月十五日なり。

『新訂 江戸名所図会4』ちくま学芸文庫より。


 江戸名所図会の記述の「同所に並ぶ」とは、水神社の前に紹介されている竜隠庵にならんでいることを示しているようです。竜隠庵は胸突坂を挟んで東隣にある現在の関口芭蕉庵です。
 「竜隠庵別当たり」の箇所で竜隠庵は寺なのか?と疑問に思ったのですが、江戸名所図会の竜隠庵の説明には、
昔は真言宗にして安楽寺と号く。ゆゑありて、元禄十年丁丑(一六九七)黄檗宗に改め、洞雲寺の持ちとなり、平石和尚住持す。

とあり、洞雲寺持ちの寺でもあったようです。


 さらに竜隠庵の記述を読むと、文京区による水神社の説明板にある周辺の描写は、この記述から大きく借りていることがわかります。
庵の前には上水の流れ横たはり、南に早稲田の耕田を望み、西に芙蓉(富士山)の白峯を顧みる。東は堰口にして水音冷々として禅心を澄ましめ、後ろに目白の台聳えたり。

 隣りですから周囲の風景はおなじですね。


 文京区教育委員会の説明板にある「水神が八幡宮司の夢枕に立ち」くだりで唐突に出てくる「八幡宮司」の意味がよくわからなかったのですが、江戸名所図会の水神社の次に八幡宮の項目があり、
八幡宮 同、社地にあり。往古よりの鎮座といふ。下の宮と称し、椿山八幡とも称せり(昔は椿多かりしゆゑに、椿山と号くといふ。祭礼は毎歳八月十五日、上の宮と隔年に修行す。洞雲寺奉祀す)。

と記述されています。
 水神社が祀られる以前からあった八幡宮の宮司の夢枕に立ち、その後同じ場所に水神社が建てられたのでしょう。その八幡宮自体は現存しないようですが、現在の水神社には祭神として応神天皇が祀られています。八幡宮は水神社に統合されひとつの社となったのでしょうか?
 ちなみに、八幡宮の説明にある「上の宮」は、現在の正八幡神社 (文京区関口2丁目)のことです。



以下、写真および雑感


 水神社のすぐ前には神田川が流れています。神田川に沿って桜並木の遊歩道になっており、桜の季節にはたくさんの人が訪れます。私が訪れた時も多くの人が散策したり写真を撮ったりしていました。
 神社の前に架かっている橋は「駒塚橋」といいます。江戸時代は、もう少し下流に「駒留橋」が架かっていたとのことです。
 橋の向こう側に鳥居が見え、神社があることがわかります。
e0163471_17222389.jpg


 駒塚橋の上から下流側。左側には関口芭蕉庵の門が見えます。右側遠くの大きな建物は椿山荘です。
e0163471_1722352.jpg




 神社の右隣、芭蕉庵との間に、「胸突坂」があります。この胸突坂を登ったところ熊本藩細川家の下屋敷跡に細川家伝来の文化財を収めた永青文庫があります。
e0163471_17224795.jpg


胸突坂  文京区関口2-11と目白台1-1の間
 目白通りから蕉雨園(もと田中光顕旧邸)と永青文庫(旧細川下屋敷跡)の間を神田川の駒塚橋に下る急な坂である。坂下の西には水神社(神田上水の守護神)があるので、別名「水神坂」ともいわれる。東は関口芭蕉庵である。
 坂がけわしく、自分の胸を突くようにしなければ上れないことから、急な坂には江戸の人がよくつけた名前である。
 ぬかるんだ雨の日や凍りついた冬の日に上り下りした往時の人々の苦労がしのばれる。
    文京区教育委員会  平成10年3月

e0163471_1723799.jpg


 坂の上から。
e0163471_17231817.jpg




 神社正面。神社の下の部分は駐車場になっています。
e0163471_17233376.jpg


 駐車場の奥、石段のところから神社っぽくなります。
 石段のつけ方がちょっと変ですね。改築されたのでしょうか?左側には、倉庫のようなものがあります。右側には庚申塔があります。
e0163471_17234393.jpg


 庚申塔です。風化したのか文字などは見えず、三猿があるだけで詳細はよくわかりません。
e0163471_17235721.jpg


 石段横のコンクリートのところに貼り紙があります。猫の健康の為、神社にいる猫に勝手にエサを与えないように注意する内容です。署名が水神社になっていますので、猫好きの関係者がいるのでしょうか?
e0163471_1724946.jpg


 石段左側には倉庫があります。
e0163471_17241819.jpg




 歳月を経た感じの石段と比べて鳥居の白さが目を引きます。石段の上には二本の銀杏の大木があります。下から見ても大きく目立つ木ですので、秋には見事な景色になるのではないかと思います。
e0163471_17242798.jpg

e0163471_17244972.jpg


 鳥居は最近再建されたもので、隣に再建の経緯を記した説明板があります。
  鳥居再建記念
 社殿に向かい左の銀杏の枝(直径約四十センチメートル)が平成十六年十二月五日未明の大風(東京地方最大風速四十.二メートル)で折れ、安政四年九月吉祥日に建立された鳥居を直撃した。これにより、鳥居の笠木部分が二つに折れて、鳥居の柱部分のみが残った状態となった。これを憂い、水神神社を崇敬する地域を代表し、関口町会並びに関水町会の両幹部が安全対策を検討し、正八幡神社奉納金を以って新設することとなり、平成十七年九月に新設再建された。
 銀杏の根により浮き上がり危険な状況にあった階段部分の修復を同時に行なった。
 なお、損壊した鳥居の社殿に向かい右柱表面に「大門通り」裏面は不鮮明で読めず、左柱表面に「神田」裏面に「安政四年丁巳九月吉祥日建立」と刻まれていたことを記し、当時の奉納者の志を残す。
 安政四年(西暦一八五七年安政の大地震の二年後 本年より一四九年前)
    平成十八年三月吉日

e0163471_17275656.jpg




 石段を上ると銀杏の間から社殿が見えます。
e0163471_172877.jpg


 銀杏の間から下を見ると、駒塚橋などが見えます。ビルのなかった昔ならば、かなり遠くまで見晴らせたのではなかろうかと思われます。
e0163471_17282081.jpg


 石段の上は、ちょっとした広場のようになっており、その奥に小さな社殿があります。
e0163471_17283188.jpg


 社殿左側の石碑は、「皇太子殿下御成婚記念」の石碑です。昭和三十四年(1959年)の建立ですので、現在の天皇陛下の御成婚を記念したものです。
e0163471_17284213.jpg


 社殿の左側からは、胸突坂に抜けられます。
e0163471_17285035.jpg




 社殿自体は質素なものです。社殿に取り付けられている「水神社改築工事奉納者」によれば、平成九年(1997年)に建てられたようです。
e0163471_172932.jpg


 扁額は昭和三十四年(1959年)のものです。「水神神社」と書いてあります。
e0163471_17291465.jpg

e0163471_17292313.jpg

 この額を見て、神社の正式名称として「水神社」とどちらが正しいのでしょうか?と疑問に思ったのですが、「水神の神社」で「水神神社」か「水神の社」で「水神社」かの違いでしょうから、どちらでもかまわないのでしょう。地元の町会などに支えられてきた小さな神社ですから、慣例や省略などが入り混じることもあるでしょう。「正式名称」などと決め付けるのも野暮なような気がして来ました。



 小さな神社ですが、春の桜に秋の銀杏、静かな木陰から見下ろす神田川、趣のある神社です。



 境内の様子です。
e0163471_17293919.jpg

e0163471_17294792.jpg

e0163471_17295973.jpg




写真撮影:平成25年03月22日
[PR]
by st22 | 2013-11-13 17:30 | 寺社