香取神社 (北区赤羽西2丁目)

香取神社 (北区赤羽西2丁目)
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住所:北区赤羽西2丁目22-7



祭神:経津主神、大山咋神(配祀)、建御名方神(合祀)

例祭日:例大祭 9月15日前後の土日
    元旦祭 1月1日、初午祭 2月初午前日、祈念祭 2月28日
    夏越の大祓 6月28日、七五三祭 11月特定日、新嘗祭 11月28日
    諏訪神社祭 11月28日、年越の大祓 12月28日(香取神社ウェブサイトより)

境内社:稲荷神社、榛名神社、古峰神社、御嶽神社、大山阿夫利神社

由緒:香取神社は、赤羽八幡神社 (北区赤羽台4丁目)の兼務社となっており、その赤羽八幡神社のウェブサイト内に、香取神社を紹介したページもあり、簡単な由緒が以下のように記されています。
創建時期は不明であるが、当社の朱塗りの御本殿は徳川三代将軍家光公により、慶安3年(1650年)に上野東照宮の旧御本殿を移築したものとされている。


 このサイトでは、他に行事や祭神などについても記されています。



 境内には区指定文化財である「香取神社本殿」の北区教育委員会による説明板があります。

北区台帳登録文化財(有形文化財 建造物)
  香取神社本殿   北区赤羽西二-二十二-七 香取神社境内
 香取神社本殿は、境内東側に位置する拝殿の後ろに設けられた本殿覆屋の中に安置されています。朱塗りの三間社流造で、屋根は杮葺きです。石の亀腹の上に土台が据えられ、その上に高さ約一○尺奥行約八.三尺の社殿が建てられています。
 香取神社は、経津主神・大山咋神・建御名方神を祭神としています。『新編武蔵風土記稿』には「村の鎮守とす、長二尺六寸許の石を神体となせり」と記述され、旧稲付村の鎮守でした。稲付村は十七世紀半ばの郷帳(『武蔵田園簿』)に「御神領」と記され、東叡山寛永寺領に属していました。また、当社とも関係の深い法真寺(赤羽西二丁目)の開山證道院日寿は、東照宮の造営にも深く関与した南光坊天海の弟だったとも言われています。このため、香取神社の本殿は、この近辺に暮らす人びとに、上野東照宮の本殿(内陣)を移築したものだと古くから信じられています。上野東照宮の本殿とは、徳川将軍家が東叡山寛永寺を造営した際に藤堂高虎(津藩初代藩主)が建てたもので、その事業には徳川御三家が協力し、寛永四年(一六二七)に落成したことが知られています。
 平成二十四年三月  東京都北区教育委員会

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 北区観光ホームページにも簡単な紹介があります。



以下、写真および雑感



 昔の日光御成街道にかさなる都道460号線から少し入り、道が細く上り坂になったところで、香取神社へ続く石段があります。石段の付近から、都道の方向を見たところです。
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 石段の前の道をもう少し進むと、坂の上には北区教育委員会による説明板に「当社とも関係の深い」と記されている法真寺があります。
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 法真寺は、その位置や関係から香取神社の別当寺かと思ったのですが、インターネットで少し調べると、「浮間わいわいねっと」等には、普門院(北区赤羽西2丁目)が香取神社の別当寺であると記されています。



 石段の右側には、比較的新しい社号碑があります。
 石段の下の両脇の石に、世話人等が彫られています。その中に、当時のそのままかどうかわかりませんが、(少々判読しづらいのですが)天保十五年(1844年)とも彫られています。
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 石段を上がると、狛犬と灯篭が一対あり、右手に石碑が二つあります。
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 狛犬です。嘉永三年(1850年)の奉納です。一つは足の部分が欠けて補修されています。
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 燈籠です。
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 この石碑は「小林先生彰功之碑」です。この地区の教育に功績のあった小林氏を顕彰し、明治三十一年(1898年)に建立されたものです。北区観光ホームペジでは「筆子塚」と紹介されています。本文は漢文で書かれているようです。先にも紹介した浮間わいわいねっと(小林大豊記念碑)に大意があります。
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 こちらは、「日露戦役記念碑」です。裏には出征軍人や有志の名前が彫られています。明治三十九年(1906年)の建立です。
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 石段から続く道はアスファルト舗装の中央が石畳になっています。石畳は右に折れ、神社境内に入っていきます。左手の塀は法真寺の塀です。
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 境内入口正面には、鳥居、左側に社号碑、右側に祭神等を書いたものがあります。鳥居は神明鳥居で、昭和二十八年(1953年)建てられたものです。
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 社号碑です。「明治百年記念」として昭和四十三年(1968年)に建立されています。
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 祭神などが書かれています。香取神社ですから主祭神は経津主神です。
 比叡山の地主神である大山咋神が祀られているのは、東叡山寛永寺との関係からでしょうか?諏訪神社の祭神である建御名方神が合祀され、諏訪神社の例祭もおこなわれています。こちらはどういう事情があって合祀されたのでしょうか?
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 私が訪れたのが、夏越しの大祓のすぐ後だった為でしょう、参道に茅の輪が設置されていました。
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 こちらの狛犬は嘉永五年(1852年)に奉納されています。石段上にあった狛犬と雰囲気が似ていますが生まれは二年あとです。
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 右手に手水舎があります。水盤は天保十五年(1844年)の奉納です。
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 手水社の奥、神社の南側は、ちょっとした空き地のようになっており、その端から武蔵野台地にきざまれた稲付谷が一望できます。
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 空き地の隣りには、神楽殿があります。
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 参道の左手には社務所があります。後ほどその顛末の書かれたものを紹介しますが、赤羽八幡神社の社務所を新幹線新設工事に伴い取り壊すところをこちらに移築したものです。現在の感覚で見ると落ち着いた日本家屋で風格さえ感じられますが、当時は建ててから十年少しの建物ですから、貴重だから移築したというわけではなさそうですね。壊すのはもったいないから移築したという感じなのでしょうか?
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 こちらは、石段を上がって神社正面を素通りしたところから見た社務所です。
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 社務所の近くには、「戦災復興記念碑」があります。背面が見えなくて、詳細はよくわかりません。
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 拝殿です。入母屋平入りで、千木などがなく寺院などでもよく見られる形です。いつの建築かわかりませんが、よくある形式ゆえに、安心感のようなものを感じます。
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 屋根の上に、狛犬(?)と蓮の花の飾りがあります。
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 天水桶は、昭和三十五年(1960年)奉納です。
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 拝殿の左側に稲荷社があります。額には「正一位 伏見稲荷大神」と書かれています。鳥居や手水舎もあります。
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 稲荷社の右奥の建物には、境内社が四社祀られています。向かって左から、榛名神社・古峰神社・御嶽神社・大山阿夫利神社です。
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 拝殿の左横は、古い鳥居の石材など使って仕切りを設け樹が植えられ、本殿の近くには進めないようになっています。
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 この植え込みに、「冨士登山記念碑」と「関西中國九州巡覧記念碑」があります。植え込み入るのもはばかられるので、裏面は見られませんでした。
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 拝殿の右側に回ると、こちらも塀があり本殿付近には近づけませんが、本殿の覆屋をよく見ることが出来ます。塀沿いに「稲付村の力石」、「社務所改築の記」、われてしまった石碑があります。
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 本殿の覆屋です。
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 「稲付村の力石」です。
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  稲付村の力石  赤羽西二-二二-七 香取神社境内
 ここにある七つの石は、その一つに「さし石」と刻まれている力石です。
 江戸時代後期から明治時代にかけて、稲付村では、春の彼岸がすぎるころ、少しの間、農作業に暇ができましたので、村の鎮守である香取神社の境内に、村内の力自慢の若者たちが集まって、石の「サシアゲ」などして、力くらべをしたといいます。
 七つある力石のうち、五つの石に重さが刻まれています。軽いものでも十九貫目(約七十一キログラム)、重いものでは五十五貫目(約二百六キログラム)もあります。また、六つの石には、「小川留五郎」と名前が刻まれています。留五郎さんは、稲付村一里塚跡付近にある根古屋の小川家の人で、力が強く、村相撲の大関を勤めたといいます。石鳥居の脇にある明治三十九年(一九○六)五月建立「日露戦役記念碑」の有志者連名中にもその名がみられます。明治四十年(一九○七)六月十三日に五十一歳で亡くなりました。力石は小川家に保管されていましたが、昭和四十年(一九六五)頃に香取神社へ奉納され、現在に至っています。
 力石は、鎮守の祭礼などで、これを持ち上げて、神意をはかるための石占に用いられ、後には、若者たちの力くらべをするための用具ともなっていきました。この力石は往時の稲付村の風俗・習慣を示す貴重な文化財です。
  平成八年三月    東京都北区教育委員会

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 力石の隣りには、「社務所改築の記」があります。稲荷社施工の業者名も入っています。社務所と同時に稲荷社も造られたのでしょうか?

 社務所改築の記
この社務所はもと赤羽八幡神社に昭和四十五年に新築されたものであるが東北新幹線の新設により取毀すことになったものを朝日宮司並びに八幡神社の氏子総代各位のご厚志により我われが無償で譲渡をうけ昭和五十七年九月より翌年二月に亘る移築工事その間氏子各位の格別なるご奉納とご声援の賜により面目一新して完成したものである
    昭和六十一年七月

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 われてしまった石碑と、その後ろに鳥居の柱のような円柱があります。石碑は何の石碑なのでしょうか?
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 長い石段の上にある静かな神社です。眺めもよく、散歩にはちょうど良い感じかもしれません。



 境内の様子です。
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写真撮影:平成25年06月30日
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by st22 | 2013-12-11 18:35 | 寺社