御林稲荷神社 (文京区千駄木5丁目)
住所:文京区千駄木5丁目
祭神:よくわかりませんでしたが、稲荷なので宇迦之御魂大神でしょうか?
由緒:詳細はよくわかりませんでした。
以下、写真および雑感
御林稲荷神社は、都道452号線(大観音通り)から少し入ったところにあります。
表通りから入ってきた道が神社の前で直角に曲がっています。
境内入口の脇には石碑がありますが、達筆なので残念ながら私にはなんと書いてあるのかわかりません。
境内入口右脇の木陰に「旧町名案内」があります。
旧町名案内
旧 駒込林町 (昭和40年までの町名)
千駄木山の内で、千駄木御林といった地である。
上野寛永寺創建の後、この林地を同寺の寺領とし徳川霊廟用の薪材をとらせた。
延享3年(1746)開墾して畑とし、後その内に宅地を設けて御林跡と称えた。当時は下駒込村に属していた。
明治2年、分かれて1か町として駒込千駄木町とした。
同24年、元下駒込村の内、団子坂、上笹原を併合した。
同44年には千駄木をとり駒込林町と改称した。町内には、高村光雲(彫刻家、1852~1934)、高村光太郎(詩人・彫刻家、1883~1956)父子や、宮本百合子(小説家、1899~1951)が住んでいた。
御林稲荷神社の由緒はよくわかりませんが、上記の「千駄木御林」にちなんで名付けられたのでしょうか?
と思って、インターネット上で調べていると、「幕末千夜一夜」さんのサイト内にある「”超検索”大江戸八百八町」で見られる「安政六年(1859-1860)須原屋茂兵衛版の江戸大絵図(江戸古地図)」を見ると「東叡山御林」と書かれた土地の中の現在と変わらないと思われる位置に「稲荷」があります。
現在、境内の前で一般道が直角に折れ曲がって右に続いていますが、昔はこの神社の先は御林になっていて、
訂正 goo古地図(尾張屋版江戸切絵図)には、稲荷の正面で折れ曲がり、御林の中へ続く道が記されています。
境内に入ってすぐ左には、「天祖神社祭礼 奉納金 御芳名」の一覧があります。御林稲荷神社は、天祖神社 (文京区本駒込3丁目)の境外社となっているようです。
境内右側には、石碑と手水舎というにはいささか即物的な流し台があります。
石碑は忠魂碑です。横には、海軍大将山本英輔謹書とあります。
蛇口があると思しきところには箱が取り付けられ、扉に鍵が掛けられています。
境内奥には、赤い鳥居と社殿があり、その隣りには倉庫のような建物があります。社殿の前の外灯は、鳥居と同じように上が赤く下が黒く塗られています。
社殿は簡素なものです。中には灯明がともり、きちんと管理されている事がうかがえます。
歴史も由緒もありそうな稲荷ですが、詳細が不明なのがちょっと残念ですね。
境内の様子です。
写真撮影:平成25年09月29日